私は、中2、高1、高2で3回と、OBとして2回ほど合宿に参加したと思う。
それだけに、合宿への思いも強かったようで、今から思い出しても様々な場面が頭に浮かび、
それぞれの合宿に参加することが出来て、本当に良かったと思っている。
私が参加した検見川の合宿所は、新検見川の駅から徒歩で15分位のところにあり、
道をはさんだ向こう側が、広い敷地の運動場になっていた。
ここは、ゴルフのショートコースや陸上のトラック、サッカーや野球のグラウンド(のようなもの?)
を備えた他目的運動場になっていて、絶えず色々な団体が使用していたが、
他の団体に陸上のトラックを占領されない限りは、あまり邪魔にならないだけの広さがあった。
このような場所であった為、この合宿での練習は、トラックを中心にというよりも、
むしろ、その起伏の多い地形を利用したクロスカントリー等の練習が、どうしてもメインとなり、
芝に覆われた大地からくる独特の蒸し暑さに加えて、やり方次第では、どこまでも厳しい練習を組み立てることができた。
一方、合宿所の方はと言うと、正面の門から入って、左から、体育館、トレーニングルーム、
本館(食堂、風呂場、会議室、管理人室等を含む)、そして、新館(?)2棟が並んでいたが、
お世辞にも、きれいと言える施設ではなかった。
合宿の熱気をそのまま持ち込んだような建物の中では、練習前後の生活面においても、自己管理を要求されることになっていた。
ところで、合宿の日程は、だいたい7月後半から8月後半の期間が多く、顧問の先生と相談して決めることになっていたのだが、この日程の取り方によっ
ては、かなり印象の違う合宿になったような気がする。
まず、7月と8月とでは温度や湿度に違いがあり、また、地熱や太陽の角度、日照時間や草木の生え具合等が微妙に違ってくるということ。
さらには、8月後半になると台風がやって来るということもあり、これがやって来ると、低学年としてきた時は、正直言って喜んでいたものだが、
幹部としてきた時には、1日の使い方に頭を捻り、苦労したものだった。また自分の記憶によると、合宿の日程は、何故か?
野球部やサッカー部とかち合うのを避けて、テニス部やバレー部なんかと合わせることが多かったように思う。
同級生から情報をもらって……というようなことは、昔のことなので良く憶えていません?
グラウンドを使用しての練習は、それぞれの代の幹部が事前に考えた練習メニューに基づいて行われていたが、日向は何と言っても暑く、途中で調子が悪
くなる者は必ず出た。
従って、自ずとあちこちで妥協しない訳にもいかず、全体の7〜8割の練習をこなせれば良い方ではなかったろうか。
実際に練習が始まると、最初のうちこそ和やかな雰囲気であるが、次第に、お互いに無口になっていき、しまいには幹部でさえも不機嫌になってしまうことがしばしばあった。
しかしながら、ひとたび練習が終われば、その緊張感から一気に開放され、後は、楽しい時間が待っていた。
量だけは多い夕食を皆で食べた後は、会議室でのミーティング。
この時間帯は、ちょうど睡魔が襲う時間帯であり辛いものがあったが、色々な先輩の話を聞くことが出来るのも合宿ならではで、実際、後々為になることが多かったと思う。
ミーティング後就寝時間までの間は、各自、自由時間となるが、たいていは、上下入り乱れての交流会となることが多く、合宿の醍醐味の一つだったかもしれない。
それにしても、こういう時は、意外な先輩や後輩が大活躍するから面白い。
OBの先輩も含めて普段見ることの出来ないような一面を見たり、部活以外の貴重な話を聞けるのもこの時であり、忘れられない思い出となっている。
と同時に、高学年になってから、役に立つような話(ネタ)は、こういった機会に盗ませてもらったような気がする。
合宿三日目か四日目の午後は、”なかび”として色々なことをやった。
中日の主旨としては、アクティブ・レスト(Active Rest)と言われ、以前から学校の練習の際に、ポートボール等を良くやっていたのだが、
合宿ではこの中日に野球をやるようになっていた。自分は、これでも小学6年まで3年間ほどリトルリーグで硬球を使いつつ練習をしていたが、
はっきり言ってセンスが無い(要するに下手)ので、誰も信じてくれなかったろうと思う。
この間、女性部員にも参加してもらっていたが、だいたいは見学していたり、バトミントン等をやっていたような気がする。
暑い合宿の中でオアシスのようなひとときだった。
練習も後半に入ると、いよいよ佳境に入ってくる。
私は、外見はともかく、内面は、非常に負けず嫌いな性分だった為、中2の時も、また、高2になってからも、絶えず、「負けるものか!」と言う気持ちで走っていた。
従って、屈強な先輩や後輩が弱ってくる四日目や五日目はある意味チャンスであり、自分自身のピークをこの1日、2日の間に持ってきて、しっかり勝負させてもらった。
それでも、なかなか勝つことはできなかったが・・・。
最終日、若しくは、その前日は、"記録会"と称して短距離やクロカンコース等のタイムをとる日になっていた。
以降の練習への参考に、という意味合いはあったのだが、この最終日に計る記録というものは、疲労の蓄積によりあまり良くはならないというのが普通だった。
しかし私は、中2の合宿の時に、初めて100Mで14秒台にのせることが出来た。
小学校の時に、15秒6と言う記録を出して以来、なかなか15秒と言う壁を破ることができず、体育の時間や体育祭等で、非常に悔しい思いをしていたのだが、
それだけに、正式な計時といえないまでも、14秒台の数字が出たということは、私にとっては、何よりも嬉しいことだった。
合宿の全ての日程がめでたく終了すると、合宿所の門前に横一列に並んで一礼、そこで事実上解散となる。
それから先は、それぞれ色々な思いを秘めて帰途につくこととなった。
部長やキャプテン、特に、高2くらいになると、それだけ思い入れも強くなり、ほっとすると同時に、一抹の寂しさも感じていたのではないだろうか。
今、私は、陸上という世界から離れて10年以上立ってしまった。
しかし、何故か最近、急に再び走りたくなって、少しずつではあるが、走り始めている。
将来にわたって、楽しみながら走り続けられればいいなと思っている。
この、ただただ走ることだけの楽しさを最初に教えてくれたのも、また、この夏合宿だったような気がする。
もう少しトレーニングを重ねて、それなりの走りが出来るようになった時には、OBとしてではなく、一人の市民ランナーとして検見川に来て走ってみたい。
そんな気がする。
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